自分一人が投票しても、何も変わらないよ、というのは、たしかにその通りである。個は、どこまでいっても個=一であるから。多数の前に、一は無力である。
ちょっと前の話だけど、TVタックルにある女性議員が出演し、例の女性は生む機械(だったかな?)発言をした誰それの男性議員に関して、その熱弁をふるっていたのだが、曰く、「男尊女卑」の教育を受けてるから云々、とかね。ややヒステリックに言ってたわけだけど、こういう馬鹿が議員になるから、女性は知的な活動に向いていないというような見方をされてしまうのだ、と個人的には思った次第で。国会議員というのは、国民を代表するものであり、したがって、男尊女卑の教育があったとして、国民のその層を代表するのは、当然、悪ではない。
国会議員は国民を代表するもの。様々な層を代表するもの。国会は、意見調整の場。したがって、妥協の場。
実際は、国会とは、一部のエリート(いちおう官僚だね)が国民を導く(というと聞こえはよいけれど)ために、国民自らが決めたかのように思わせるための仕組みとして存在している。
議会制民主主義もしくは、代表制というのが不毛であるのは、柄谷行人の『日本精神分析』の第三章「入れ札と籤引き」を読めばその原因が判然とすると思う。たぶん、一言で言えば、代表されるもの(=国民)と、代表するもの(=国会議員)が、真に一致するか、し続けるか、という問題。
もちろん、一致し続けるわけがない。現実とは流動的なものだから。
だから、代表制というのは、不毛である。したがって、投票行為において、自分の利害関係を代表してくれる代表を選ぶのではなく、籤引きにより代表を決めるほうがよいのだ。
麻生太郎が、あれだけ支持率低くても辞めるそぶりさえ見せなかったのは、個人的には、以降発生するシナリオを事前に知ってたからだろうと思ったするわけでね。まあ西松建設の社長逮捕と来れば当然、ああ小沢だな、であり。管理する方法として、恐怖政治というのがやり方の一つだけど、疫病・天変地異というのが手札だよね。金融危機も、自然発生なわけがないし。
個人的には、陰謀論には説得力はあるとは思うけれど、しかし、治療や救済をもたらさない言説は、不毛であるとも思う。また、陰謀論側(特にブロガー連中)は、一般的に、自分は真実を握っているのだ、という自我肥大が顕著である。そんなじゃ、新興宗教の教祖と変わりゃせんぜよ。つまらん。
相対的世界で、どんなに争っても、結局は、相対的世界に埋没するだけだ。だから、目指すは、困難でも、絶対への道であるべきだ。
したがって、個が普遍を目指さないのは不幸である。
個(=単独)と普遍という回路。特殊と一般という回路。
国民とは一般。自分=一国民というのが特殊。その回路内でどんなにあがいても、結局は相対的世界で埋没するだけだ。個は多数の前では無力だから。
だから、個は普遍を目指さなければならない。救われるのは、唯一、その道だけだからだ。
以下の引用でしめくくる。
成瀬 ならば、魚が陸に上がったことも、ダーウィンの理論では説明できないんですか。
苫米地 あれは進化です。水の中にいた魚が、「ここは寒いな」とか「栄養が減ってきたな」と思ったとき、最適化を目指すのであれば、もっと温かくて栄養のある水を探したはずです。決してエラ呼吸の魚が死んでしまう水の外に出たりはしない。でも、魚は陸に上がった。それは、瞑想で海の外をのぞいたからなんですよ。こうして進化が起こったんです。
成瀬 なるほど、ヨーガをやっていた魚が進化したのか。瞑想した結果、「陸の上は心地よい」と判断した訳ですね。実際に陸上で心地よく過ごしている未来の情報も、瞑想によってキャッチした。
苫米地 それで魚には足が生え、エラ呼吸から肺呼吸に変わって、地上に上がった。進化というのは、だいたい一世代で突然起きるんです。最初の個体にいきなり変化が起こって、なぜかそれがまた一気に種全体へと広がっていく。
成瀬雅春著『死なないカラダ、死なない心 宇宙のエネルギーで身体をつくりかえる』249ページ
参考文献