• Author: じゃむ
  • Published: 2009年5月25日月曜日
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低俗霊に取り憑かれたキチガイの典型。世も末だな、、、

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みだりに心霊を語るな、だが。

以下、引用。

「先人の価値観学ぼう」

ジャーナリストの櫻井よしこさんが23日、筑後市のサザンクス筑後で「日本人の美徳 誇りある日本人になろう」の演題で講演し、約1200人が耳を傾けた。

筑後青年会議所が、市民に日本の歴史を見つめ直し、国を愛する心を持ってもらおうと企画した。

櫻井さんは、旧日本陸軍の軍人らの生き様について触れ、「自らの個人的な事情を考えず、国や社会のために一生懸命働いた」と紹介。他者のために生きる姿を日本人の美徳とし、先人たちの価値観を学ぶべきだと強調した。

質疑で憲法改正の是非について問われると、「中国などの近隣諸国が軍事力を高める中、日本は自国を守るための軍隊を置かなければならない」と述べ、改正に向けた議論が必要との見解を示した。

(2009年5月24日 読売新聞)

以上、引用終わり。

ジャーナリストの使命(というものがあるとするならば)とは、事実を広く知らしめる、ではなく、それを知らないことが罪にあたるようなことを広く一般に知らせる、である。なぜならば、無知は罪だから。

部下が何かしでかして、社長が、わたくしは知りませんでした、というのは報道でよく目にする光景だが、知りうる立場にあり知りうる能力があるならば、知りませんでした、は通用しない。だから、こういうちんちくりんは、二重に間違えている。こういう馬鹿がトップにいるから、部下も馬鹿になるだけのことである。

マスコミ(=マスターベーション・コミュニティ)は、すでに斜陽産業であり、ほっとけば自滅するだけなので、マスゴミは云々とか批判しても仕方がない。時間の無駄。それに、マスコミに属している個々の個体には、主体はないのであり、したがって彼ら・彼女ら自身に罪はない。

罪はない? いや、そんなことはないな。知りうる能力があるならば、認識しようとしないのは、罪である、だな。

何かにsubject(=隷属)することによってのみ、人はsubject(=主体)となることができる。sub=下に、ject=投げる。マスコミに身を投じた彼・彼女らは、本来の主体を滅却することによって主体を得ようとした求道者である。犠牲者とも言えるが、が、たんに馬鹿なだけである。

だから、やはり罪はない。馬鹿とは、知りうる能力の欠如状態であるから。

われわれは、徹頭徹尾、受動的な存在であり、唯一、認識することによってのみ(もしくは、認識するという行為の過程においてのみ)、自由である。自由のないところに責任はない。だが、(残念なことに、というか、過酷なことを要求されているというか)現在の公共的了解では、諸個人は自由な主体であり、つまり、その行為の責任を問われる、である。

さて、桜沢如一、いや、桜井よしこ、だな。

写真を見ただけで分かると思うけれど、尋常じゃない。幼稚園レベルですらない。明らかに、いっちゃってる。だから、ゆってることも支離滅裂。歴史に対する曲解もはなはだしい。負け戦は負け戦であり、負け戦をやった連中を云々ゆっても仕方あるまい?

それに、唯一の被爆国などなどの多大な犠牲を払ってまで手に入れた非戦の憲法は、近年において唯一(だろう)、日本が人類史に誇れるであろうものであり、容易に手放すべきではない。確かに論外な憲法である。が、論外ゆえに、人類史において一歩も二歩も先がけているのであり、われわれとしては、誇りに思うべきである。

現在の日本国憲法は、強制された憲法であり、自主的に書き換えねばならない、という屁理屈がある。が、強制されない現実がある、とでも言うのか? 現実とはままらないものである。

また、憲法が時代にそぐわなくなってきたので、書き換え追加をすべきである、という屁理屈もある。が、そぐわなくなってきたというマテリアル性こそ、畏怖すべきであろう。書かれたものに過ぎないものが、意識を規制しはじめる。そういう齟齬の意識こそがマテリアル性であり、そういう齟齬こそが現実である。

唯一、書き換えるとするならば、「representative」か「represantation」だったか失念したが、それを「象徴」と天下の大誤訳(というよりも意図的誤訳だろうが)を、本来の「代表」に書き換える、だな。

櫻井よしこは、いつ頃からだったろうか忘れたが、変質した。そして、さらに変質している。田原総一郎もここ最近、なにやらおかしくなり始めてる。

不穏である。

馬鹿の一つ覚えみたいに今後何度でも書くが、“自殺” は自決や自死とは書かないよね? 自己が自分という一番近しい他者を殺す行為だから、自殺という。自殺=他殺である。自殺という言葉に齟齬の響きはないよね?

異議無し :!:

だから、桜井よしこが言う「他者のために生きる姿を日本人の美徳とし」が正しいならば、その「他者」とは、自己にとっての自分としても何ら問題ないのである。

もっとも近しい他者である自分のために生きることができないようならば、他の他者に対してもできるわけがない。

最後に引用で締めくくる。

 この問題は決して、個人の幸、不幸だけに関わっているのではない。高次の観点から見れば、個人の幸、不幸と全世界の運、不運とは密接に関係し合っている。このことは、まさに真の神秘学的考察を通して、確信できるものになる。自分の力を正しい仕方で発揮できない人は、世界のあらゆる存在に害を加えている、と洞察するようになる。人間は超感覚的なものとの関連を失えば、自分の世界を荒廃させてしまう。自分の内部に存在するかけがえのない、大切なものを破壊してしまうだけでなく、それによって、結局は絶望に陥り、自分の生活の基盤である世界全体の進化も妨害することになってしまう。

ルドルフ・シュタイナー『神秘学概論』50頁より

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